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領土問題と民族主義

By yam1962 On 2012/09/27 · Add Comment
1.敗戦国の宿命 我が国、なぜか、他国との領土問題がクローズアップされる状況にある。 そのような、各番組を眺めていた。 結局、日本は敗戦国なのだと痛感させられた。 敗戦国ゆえに、国民の多くが、愛国心を捨て、自国を自虐的目線で見るようになったのだ。 それは、政治家でも、評論家でも、学者においてさえも。 太宰治のエッセー:もの思う葦を読んだときにも、敗戦後(昭和22年くらい)に全体主義の否定を国民が選択している情景が記入されていた。その分、個人主義と民主主義が大きくはぐくまれてきたのかもしれない。 アニメの聖闘士星矢に、記憶に残る言葉のフレーズがある。 確か、「全ては一人のために、一人は全てのために」のような意味だった。 漠然と眺めた子供向けのアニメに、このフレーズである。  今でも、苦悩していると感じた。 この国の全部が、皆のためと、自分のためとの線引きに悩んでいるのだ。 いわれのない犠牲(戦争の)にあいたくない。しかし、子供たちを守らなければならない。 そして、この国の未来の幸福は、当然、我々にも幸福をもたらす。しかし、敗戦国である我が国は、全体を信用できない歴史的遺伝子をもつのである。 2.民族について 日本は分かりやすい国なのだ。古代から海が国境だったから。 実は、世界においての国とは、日本より曖昧なのだ。 日本民族とは、海によって分けられたので明確に日本民族≒国なのだ。 民族とはなんなのだろうか?本当は、その違いが明確と言えない。多分、その家の歴史的背景の中で使っている言葉が異なることによって、何人何人と言うような区分が出来て、その流れの中で、民族的戦争をいくつも経験してきて、その結果、民族性を高めていった(民族意識を高めた)と考えられるのである。キリスト教とイスラム教、ユダヤ教の対立も民族性を強いものにしていった経緯がある。 民族のルーツは、その歴史に由来しており、ざっくりと言えば、自分が何々人なのだと思っている事が基本なのだ。だから、我が国とは多少異なり、血筋に由来する民族意識ではないのだ。そして血筋にしても、これだけ人口の多い世界で、純粋に純血であるはずがないのだ。 世界の国々を見ても、国と民族が一致しているところはそんなに多くない。アメリカを筆頭に、共和制をとっている(中国も)。 国≒民族という方が珍しい。 3.民族的悲劇 紛争の原因は、民族主義が根底に流れている。 ナチスドイツもユダヤ人をホロコーストに送った根拠は民族であるし、イスラム原理主義とアメリカとの紛争も民族が見え隠れする。 民族の悲劇は、歴史を忘れないからなのではなかろうか?先にも述べたように、民族意識を高めるためには、紛争による対立によってその意識を高める。その長い歴史的経緯(恨みや屈辱)をその民族の根拠としてる側面が大きい。 さて、それが分かったからと言って、今日から私は日本民族から脱退はできない。それは、我が民族を愛しているし、その事によって、受け入れられ生きる場所も提供されているからである。 そういう事が民族の帰属意識であるはずで、やはり、どこかに所属する事は必要なのだろう。 4.現実的に領土問題 韓国と中国は、我が日本を仮想敵国化してそのナショナリズムを高めてきた。 だが、今、キャスティングボードは日本が持っているのである。日本を敵国視してきた国民感情を、日本が逆なでしようと思えば簡単という事である。こちらに、両国の国民を憤慨させるマッチを持たせたとさ言える。日本は、野蛮な国ではないので、簡単にマッチをすったりしないが、追いつめられるとすらざるを得なくなる。そんな局面を、各国のリーダーは望んでいるのだろうか? このように、両国に反日本的教育の危うさを意識してほしいし、今後考えていただきたい事柄である。 そして、我が国も、外圧が高まれば、自衛隊の軍隊化へのベクトルが強くなる。平和国家日本を目覚めさせる事が、アジアの安定のために望むべき方向なのだろうか? 極東アジア地域の安定を考えなければならない各国の首脳に冷静な判断をお願いいたします。 私は、自衛隊の軍隊化に否定的である。政治が不安定な日本において、リーダーの政争の具になるような軍隊を作るべきでないと考える。そして、太平洋戦争みたいな悲惨な戦争を起こしたくない。だから、集団的自衛権について私は悩んでいるのだ(OKともNOとも言えない)。日本の軍人が血みどろの戦地に送られたとするならば、平和国家の意識に変化が起こり、どの方向に進んでしまうのか想定ができない。太平洋戦争のようなことは二度と起こらないとは思うが、民族意識を高める事は間違いない。 現状の極東の安定は、平和国家日本が大きな役割を担っている。それは、我が国だけでなく、アメリカ・中国・韓国の方々にも理解していただきたい。 2012.9.26 sorry
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叙事 「玉」

By yam1962 On 2012/09/07 · Add Comment
玉               星はなぜ球面体なのだろうか? 我々の知る最大の塊を星と思えば、そこに全ての真理がかくされてやしないか? 二次元の円についても、割り切るには謎の多い形と思える。 玉は、三次元では球面体で、二次元では円ということなのである。 どの方面からとらえても、その形に同じものを映し出すのが玉なのだ。 それは、自分の心理と関係なく、その在りようをいつも一定に保ち、ブレのない形ということと思える。   人は、大きな脳を持ち、体感として胸のあたりに心を持つ。 その心によって、同じ風景であってもその時々で見え方が異なる。 それに反し、玉はどこから見ても玉なのである。その姿をどの方向から見ても変化がない。 玉は、玉であり、どんな状況でもその主体性の形を変えない。 私はそこに真理の形をみるのです。どんな角度であっても一定の姿をさらす。 それを、真理の形と思うのは当然の結論ではなかろうか?   私は、人というものに絶望していた。本当に尊敬できるような人は見たことが無いと思っていた。 しかし、今日、本当の人を見る事ができた。 その方は、玉のような方だった。生き方に一切の妥協もなく、一切の迎合もない。 多分、本当にそうでないかもしれないが、ものすごくそういう事に近似している方なのだ。   その方を見たとき、社会生活にマヒしている現代人に一石を投じる事のできるパワーが確実にあった。 その方の生きザマは、深くは知らないが、変人扱いされた時期も長かったと思われる。 私も変人の端くれと自負しているが、その方はその生き方を成就されていた。 私より、何歩も先を走られている。絶望している私に、凄い感動をもたらした。   今、貴方に玉をみます。完成された生きザマに本当の玉の姿を私は見たのです。 愛、優しき心、真心、純真を持ちつつ、他人に迎合しない強さ。 そんな姿が、私に光をもたらしてくれた。 人は、人を評価する時にそのすべてをさらけ出す。 その中に、その人の未熟さ、その人の嘆き、その人の傷つき全てがあらわになる。 しかし、その方は、真っ当な目線で、真っ当な評価を、自分のプライドや見栄と関係の無い所で 愛を持って語っておられた。 私は、人の評価をするのが本当は大嫌いなのです。 特に、落ち度を並べ立てる事は自分の弱さの表れと考えているのです。 しかし、社会生活の中、たまらなくなってそのような言葉を吐いてしまいます。 本当に情けない一瞬です。   いつか、あの方のような境地に到達したい。そんな風に思える方でした。 私の知る人で、一番「玉」に近い方なのです。   sorry 2012.09.07          
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詩 「街」

By yam1962 On 2012/08/20 · Add Comment
街 月曜日の朝、新聞配達のバイクの音で目を覚ました。 以前の僕だったら、月曜の早起きに気分を良くしただろう。 しかし、今の僕は街に起こされた事に納得できないものを感じる。 街さえなければ、朝のTVニュースを見たり、電車に乗ったりしないで済むのに。 街は、僕を欲望へと誘う。   週末に会社が終わって帰宅する。もう日が暮れている。 帰宅途中の僕に、街は娼婦のように手招きをする。 真っ直ぐに帰ってしまうのもシャクだし、どっかに寄るのも気に食わない。 街さえなければ、そんな事にも悩まされないのに。 街は、何のために誘惑するのだろうか?   悩まされないためには田舎へ越せばいいはずだ。 簡単だ、全ての現状を捨てて山にこもればいい。 でも、さみしい山に越すのも落人みたいで気に入らない。 街に生れ、街で育ち、そこでしか生きれなくなっている事から逃げられない。 もう、街から飛び出す元気もない。   そして街は、その意味不明な存在を誰にも疑問を持たせずしたたかに在る。 ウツボカズラのように人々を惑わしその虜にして自分の栄養分にしてしまう。 そんな事に気がついた僕は、街にとって意味の無い者として浮浪し漂い いつか蒸発してしまうのかもしれない。 街から送りだされる、明日という幻の甘い香りに取りつかれた人々を横目でみながら。
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Japanこれからのビジョン

By yam1962 On 2012/07/12 · Add Comment
永く不況にいる我が国。 その脱却の提言を大分考えていた。その結論が本日やっと見えてきた。 1.なぜ光が見えてこないか? 御存じの通り、資源のない我が国は、製造業を強化し外貨を稼ぐモデルをアジアで先行して行い、輝かしい成功を収めた。 しかし、当時の先進国のマネから始めたこの構造は、本当の先進国になった時からだんだんと失速をしている。 それは、アジア近隣の諸国の安い労働力や国家的製造業の支援など理由はいくつもある。 技術力の高い我が国が、ちょっと後からきた国々に押されている。 いいもの、素晴らしいものを作っても、他国にそれに近い安価なものを作られている状況に打開策が見えていない。 それは、高い技術力であるが、高い値段に見合ったタイムリーな製品を生みだしていない事が原因である。 2.製造業の悩み 世界的に一流メーカーの多い我が国において、各社は性能のよい高付加価値の製品を製造しようと躍起になっている。 しかし、世界的に不況である状況では、ちょっと劣っても丁度良いものを購入するのだと思う。 サムソンやLGなどのメーカーは、不況の日本で受けいれられている。 製造業は、新しい企画を立てて他社に無いものを生み出したいはずだが、なぜ生れないのだろうか? 空想からは良いものを生み出せないということだと思う。 3.我が国の必要な転換 製造の分野でトップを走っていた我が国が、製造業の衰退したアメリアに負けている。 例えば、FACEBOOKやTwitterそしてApple。 なぜ、負けてしまうのだろうか? それまでの方法では、製造業が新しいイノベーションを提案してきた。 しかし、それは、我が国より進んだ国によるものを改良して提案したということだったと思う。 現在の行き詰った展開に、新しいイノベーションを起こしたい。しかし、起こせない。なぜか? その答えは、サービス業に新しい発達がないからである。 今まで無かったようなサービス業を起こさないかぎり、それに付随した新しい製品が登場しないのである。 だからこそ、この国でサービス業を拡大させるような取り組みが重要になってくる。 例えば、医療や介護そして工事現場に積極的にロボットを活用するとか。 世界2位になってしまったが、スーパーコンピューターにしか処理できない膨大なデータや処理を形にしてサービスとして展開したり。 はたまた、グリーンエネルギーの国家的推進など。 結局、新しいサービスを起こす事が重要で、そのサービスに付随した製品を創ると言う事が必要なのだ。 新しいサービスは、それを実現する為に必要な製品が発生し、それが新しいのである。 大手メーカーは、そういう視点で開発をしなければならない。 appleに負けている状況はそのような視点が欠けているのだ。 4.我が国の本当のポテンシャル 円高が続いている。消費増税法案が衆議院で成立した。 そのことによって、当分円高基調は続くだろう。 しかし、なぜ円高なのだろうか?実はこの国のポテンシャルの表れなのだ。 危ない国の通貨は安くしか取引されないのだ。 なぜ、ポテンシャルが高いか?本当の理由は、大体においてこの国の国民が幸福だからなのだ。 何やかんや言っても、食糧は十分にあり、大企業も乱立し、貯金も多い。 その、大体において他国の人々より幸福な我が国のポテンシャルが円高になっていると私は思う。 だから、この幸福である我々は、今までに無い先進的サービスを起こす事ができるのではないだろうか? そして、それをこさえて、そのサービスに関連した製品とそのノウハウを輸出する。 それが、新しい日本のビジョンと考える。 sorry
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天国と地獄を信じる事による恩恵

By yam1962 On 2012/06/28 · Add Comment
天国と地獄 もう一度信じてみませんか? 現代は、宇宙の始まりを解き明かし、遺伝子を組み替えるほどの科学を手にいれている。 科学が発達すればするほど、我々の周りの成り立ちが証明されていく。 そして、昔信じていた「天国と地獄」を信じなくなっている。 確かに、そんなものは無いと言い切って生きる事は当然といえる状況が世界にはある。 しかし、それで何かを失っている事も事実である。 何を失ったのか?大きなものを失った。 それは、人としての正しさや罪の意識である。 天国や地獄を信じていた時代は、今より人に見られていなくても悪いことをしないように生きていたはずだ。 しかし、現代は、合理性ばかりが優先されていないだろうか? 合理性のみを判断基準にした場合、その場しのぎの合意みたいなもので物事が前に進んで行く。 しかし、天国を信じていれば合理的でない良心による判断基準のウェートが増すはずだ。 だから、信じてはどうかと思うのである。 天国と地獄を信じれば、非道な事には手を染めないだろうし、自分勝手なご都合にも歯止めが効く。 そして、世界の人々が信じれば、幾分か世界は正しい方向(良心の方向)に向かうはずだ。 論理的な合理性を多少犠牲にしても、そちらの方がよりよい世界が広がると思う。 豊かだが(文明的だが)ヒステリックな現代とは異なり、天国を信じていた昔の人々の方が大らかだった気がするのは、たったそれくらいの理由なのかもしれない。 そして、本当に天国と地獄がある事が重要ではなく、そのことを信じる謙虚さを人々が持つということが大切で、そのことが、屁理屈ばかりの社会を正しき方へ導いて、現在の現実主義に多少余裕を与えてくれる。 また、個人においても、漠然とした天国という正しさに照らして自分自身の在り様と罪の自覚を促すことになり、結果として本人に恩恵をもたらすのである。 一昔前、丹波哲郎さんが大霊界を語っておられたのも、そんな目線からだったのかもしれない。 sorry
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