大河
大河は、長い時間をかけて急激な流れで大きな岩を砕き下流へ進みゆっくりとした大河になった。一つ一つの川が一緒になって大きな河を築くに至った。当たり前のようだが、急激な流れが絶え間なく続くことによって、大きな河になった。
大きな河は、人々の農耕には欠かせない恵みになった。人々はその河に寄り添うことで大きな幸福と富を得た。
現代では、大河をコントロールできそうなくらいの力と知恵を人々は持っている。しかし、その河の雄大さを人々に制御できることは出来ない。
そして、大河を必要とする人々は、それを枯らしても生きられないと分かっている。
大河は、最後に大きな豊かな養分と供に海に流れ込んで終わる。その役割を。この大きな営みを止める事は人々にはできない。仮にそれを行えば、人も大きく変わらなければならない。
海に溶け込む時、清流のように綺麗でないドロドロとした蓄積を全ての流れとして全てを含んで先の海に返す。明日の誕生そして新たな連続への証しとして。
そして、ある人は、流れに存在の法則や永遠や生命を見るのだろう。そして、それを知る事はその人にとって、悲しみや嘆きとならず、委ねる平穏をみるのだろう。
いつも、大河は宇宙と同じで繰り返しを見せない、常に一瞬一瞬が新しい事を証明している。
一切の流れは永遠に一回限りだ。だから、今は儚いけれど永遠の姿なのだ。
全ては生きている原理の中にあり、自分が生まれた事の理由とかでは到達できないものを委ねあいながらそれに沿った永遠の一回限りの連鎖の姿である営みを、河の姿が教えてくれている。