愛の危機

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否応なく、本当の話しを語らせてもらう。

1.愛としての事実

僕は、愛を諦めかけている。
僕が愛に飢えてるわけではない。
僕には、崇高な愛が宿っている。
そうじゃないんだ、愛を貢いでも、その反応は、肉欲やプライドだったり、失望の連続で、僕の中の愛にはほど遠い。
その絶望のマイナスバイアスが、僕を蝕み。もう諦めていいよねって手招きするんだ。
いつも、明日の正義をエサにしてきたけれど、もうよかろうって声が満ちあふれてくる。
僕が命がけで、信じた未来が、月が陰るように、僕の希望という光を遮っている。
僕の未来への正義を、今、変更しろと、促している。
悪魔を肯定しかかっている。

誰か、崇高な光を発してくれないか!

その光を放つ若者は多い。
ありがとうって感謝している。
しかし、僕もそうであったように。知らない正しさに酔いしれていては、何もできないのだ。
正しいを叫ぶなんて誰にでもできることなのだ。

全ての不合理と合理を超えて、僕と話してほしい。
そんな、クールな人物だけが、僕には必要なのだ。
誰か僕を迎えにきてくれないだろうか。
自立的を目指す僕の泣き言でしかないが。

2.そして定められた役割?

無秩序には限界がある。だから、秩序を定めているのが現実。
生命は、生きようと活動するので、停滞した既に存在する秩序に反抗する。
それが、人間の知能であり科学であり幸福を求めるということなのだ。
十分に幸福である先進国の現実でも、不幸という価値観で全てが駒を進めたがる。

なぜか?
秩序をくつがえし生きるのが生命だから。

しかし、僕は幸福を自覚している。今、何の苦痛もないカラッポな自分を不幸とは思えない。

そして、幸福を更に求める今日の否定という秩序への破壊運動自体が、
知的生命の存在理由で、
我々は、その原始的役割の中にいる様に感じる。

で、こんな事が分かる僕の役割は、いつもそうだった気がする。

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