達磨大使
達磨大使は、九年間壁を見続けたという逸話がある。それは、壁=REALを見続けたという事かもと解釈される。
悟るものは、日々の生涯の中で壁に向き合い、達磨大使のごとくREALに向き合うものだけが得られるものなのです。
だから、理屈が我を助けることなく、全てを無垢に眺めて得る境地それが悟りなのです。
REALという壁と向き合うのは、九年(苦年、または、十に届かない九が壁だという現実)を重ねなければ、得られない境地なのです。
悟るものは、日々向き合う中で一瞬の風景で偶然に答えを見るものなのです。
カッコつけた悟りでなく、分かりやすい苦行を乗り越えたっていうヒーロー像はエンターテメントの役割なのです。
だから、本物の答えはヒーローになるためでない孤独の中で見つけた答えで、全てのREALに向き合いキズついて得られるものだと思います。
全てを攻略して悟りぶる事とは、まったく別次元の人生とだけはハッキリ述べさせていただきます。
無垢に答えを求める姿こそが得ではなく、”徳”なのです。
壁を九年間見続けた逸話は、REALに宗教人としてゴマかさず向き合ったというのが、正しい理解の様に思います。
そこには、宗教とかでなく、本当の善と向き合ったように思えてなりません。