人は弱い生き物。当然私も。

だから、心の奥底の自分のために生きる。
それは、みんなを幸福にする声だ。

いいかい。自分のためはみんなのため。
だけど、自分のため”だけ”の幸福を目的にす事と大きな違いがある。

ものすごく耳を澄まさないと違いはわからない。
神と悪魔ほどの違いがある。

神も悪魔も人間を超えた力をもつ。ほとんど同じと思える力をもつ。
だけど、素粒子よりももっともっと微妙なレベルで異なる目的によって別れ、それが、全く真逆の意味になる。

しかし人にはほとんど同じとしか見えていない。
力という意味で同じに映るから。

当然に、神と悪魔は全く正反対だ。
ほとんど同じようだが、0.00001%よりも小さな世界で異なるのだ。
そんなごく微妙な違いに本質的な大きな違いがある。

よく聞く逸話では、神の僕と信じているものが、悪魔のために働いている。
神を信じているのに、いつのまにか悪魔に加担している。
命が終わってもその違いを自覚することなく、地獄にいるのに極楽と思っている。
だから、悪魔は怖いのだ。

できるだけわかりやすく言葉にしたら、
”自分のため”と”自分だけのため”の違いだ。

その違いに気づくには、強さを手に入れ、切実に私自身を緩めず、
自分を観察しないと悪魔側にいつの間にか組み入れられてしまうのだ。

これが本当のことなのだ。

これを、理屈だけと笑うかい?
いいよ、屁理屈って笑い現実と違うって思うなら、一切の理屈と縁を切って生きてください。
もしかしたら、都合のいい時だけ理屈の力を用いて頼っているのでしょうから。
だから、ほとんど神も悪魔も同じようだけど、理屈に忠実であることと理屈を自分のために利用する事の違いがあり、宇宙の中で最小の単位レベルで微妙なゆれのごとく異なるのです。
ビックバーンの直前も、微妙なエネルギーのゆれ(何かの反発的作用)によって今の宇宙は存在しているのです。根源的な何かの違いや発生はほとんど気づかないレベルによって膨らんでいるのです。真理として。
猿のDNAと人間のDNAの違いは小さいが全く異なるように。

理屈を利用しているものは悪魔とまでいいませんが、悪魔予備軍に私には見えます。

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