唐突だが、僕は泣きべそだ。
息子とドラえもんの映画を見に行って、僕だけないて見ているありさまだ。

子供の頃に泣いたのは、痛いからだった。
多分、子供ゆえに弱虫だっただからだろう。
そして、親父は男は子供が死んだときにしか泣くものでないと言っていた。

だから、泣くイメージとして、敗北、悔しさ、絶望なんかで泣くと思っていた。
うれし涙なんて自覚が無かった。

長男を野球チームに無理やりいれた。キャッチボールのできる父親になってほしいという思いからだったと思う。
そんな、野球チームの子供達と関わって、相変わらずバカで入れ込んだ。

ある大会のとき、チームの子供たちが真剣にゲームして勝利をつかんだ。
僕は、涙が止まらなかった。子供たちの真剣な姿勢とそれで勝利した結果に。

この時、うれし涙ってあるのだと驚いた。
それから、僕の涙とはどこから来るのか観察するようになった。

今も僕は泣きべそだ。
ただ、自覚するのは、泣くのは、敗北や悔しさや絶望ではないって事のようだ。
僕が泣くのはいつも感動しているからなのだ。

人が亡くなっった時、僕は簡単に泣く。
それは、僕が越えていない死を受け入れ越えた方に対する尊敬や勇気に対する感動だったのだ。

そうだ、僕はいつも怒りや憎しみや惨めさで泣いていない、強くなったときから。

いつも、感動して泣いていただけだったのだ。
それは、当然でないときほど、涙が多くあふれるのです。

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