雨
僕は、
雨に慰められ。
雨に恐怖し。
雨に心を感じ。
雨を見つめている。
雨が降ると面倒だ。
傘がいるし、外の活動をいつもより縮小しなければならない。
仕事のない日、沢のような雨音に社会音がかきけされた静寂に耳を傾けると心の静寂が訪れる。
大雨が襲って来たら、何の罰なのかって思い。
その怒りに対しての恐怖に生命であることを自覚させられる。
雨は、天と大地のSNS。それぞれの言い分を伝える役割。
雨はそれぞれの立場に真実の現実を伝えるメッセンジャー。
大地で雨音に耳を澄ませば、晴天よりもリアリティーがある。
天へ生命の匂いと活力を水蒸気によって伝え、その応えを雨が伝達する。
いつも雨はそんな役割として、優しい雨や激しい雨をすべての地上に連絡する。
いつも、天と大地にその現実を伝達している。
そして僕はそんな雨の心を知りたくなる。
もしかしたら、天と地の狭間で泣いているのかもしれない。
それは本当の嘘のない涙なのかも。
当然のごとく雨に実体なんてない。
ただ拾い上げた水滴を天から大地に落としているだけだ。
インターネットのトラッフィックのように、媒介人としてその役割を忠実に勤めているだけなのだ。
しかし、大地だって天だって、雨のように「立場」を持たないバランスの代弁者の真似なんてできない。
雨は、位置を持たないから私情が無く、期待の表明もせず、自身の愛を求めない孤独な役割に一切の恣意は見当たらない。本当の神には役割があるが雨は媒介が役割だから、無常に、崇高に、それぞれの命と運命に、一粒一粒の水滴をもたらすだけなので、その立場への装飾や説得を固定的に表す必要もない。
雨よ、大地の中の僕は貴方の様に涙で表現してみたい。
全てを大量の絶望の水滴によって泣いて流してしまうとしても、
一粒一粒の心を一粒一粒の水滴によって嬉し涙で満たしたとしても、
その様に本当の現実をただ伝える事が、隠蔽や粉飾の無い正義であり、本来であるという様に
全ての幸せのために嘘のない事実を表現する事が、
それが本当に信じあえる正義の基盤であるということが、
そして、理屈ってものを越えた自分都合でないという真っ当な本質だって事が、
あなたの役割と思えるようで。
そんな嘘のない、嘘泣きを許さないリアルを表現する雨を感じて明日へ向かうのだ。
全てに感謝し、そのバランスを表現する事が、未来なんだって信じたいのだ。
結局、決めつけっていう手段で正当性を表現する押し付けを用いる事が、強い側であろうと弱い側であろうと正しくないという公平な立場でいる雨。
それ自体が生命の座標軸には超えられないのは分かり切っている事実であるのだが。
だけど、超えられないって痛感するから、それを崇高に信じたいのだ。
信じる事で明日に近づきたいと思っているのです。
sorry 2014.3.11