1.大統領選の示すもの
アメリカ人は、強いアメリカの復活を望んでいる。しかし、アメリカが強かった頃は白人社会であった。
多民族性の強くなった現状とは異なるのである。
そういう事から、民族の融合の顔としてオバマを生み、そして再選を果たしたように思う。
このアメリカの状況は何を意味しているのだろうか?実は、世界情勢の縮図ではないのかと考えられるのである。
そのオバマの主張の1つとしては中流層の増加を目標にしている。実は、この目標は、ロシアのプーチン大統領の主張でもあるのだ。
中流層の増加の目標は、比較的貧困層に多い少数民族に対してもその可能性を否定するものではない。

米最富裕層1%の所得、30年で3.75倍に 格差拡大 2011年10月27日
(http://www.afpbb.com/article/economy/2837739/7996420)
という報道があった、そして、アメリカの資産の25%ほどを上位1%の富豪が握り、また、50%の資産を上位19%の人が握っているという報告もされている。
実は、大きな富の格差はいい結果を生まない。それは、多くの富を持つことが、大多数の市民の不満の矛先になってしまうからだ。そういう意味で、中流が重要になるのである。
富豪も不安定な社会情勢の中で、自分が努力して培った富が不満の標的とされる。そんな不幸を結果的に望まないし、不条理さえ感じてしまうのだはないだろうか?
そんな中で、アメリカの選択がオバマだったのである。その意味は、民族融合と富の格差是正という主張を国民が選んだのだということで、それは、保護の社会の強化を行う一方で、その分担を国民が分かち合う国家へ舵を切るという事であり、多少の社会主義化ということである。その本質は、極論かもしれないが、強すぎるリーダーの否定である。ロムニー候補の強いアメリカ路線に対する否定は、勝ち組社会の否定を示している。

2.世界情勢の中の民主主義
世界的な民主化の流れが活発化し、今までの構造が世界的に持たなくなっている。
アラブの内紛がその象徴だ。
我々の極東アジアにおいても、中国の拡大による軋轢が顕著になりつつある。
この対立は、ナショナリズムと民主主義の対立構図そのものといえる。
各国の抱える状況によって、その矛先が他国へ向けられたり、その国の支配体制へ向けられたりしているのであり、本当は、各国のリーダーにも頭の痛い状況が発生しているはずなのだ。
その構図は、ナショナリズム側にいるリーダーと市民との対立を示している。そのもとは、一人一人の市民が国家観をどのように持つかということなのだ。中国の情報統制は、その影響をコントロールするためのものである。しかし、グローバル化している現代は、経済や情報が否応なく国境を越えてやってくる。これは、中国だけでなく、先進国においても、程度の違いだけで、同じ事が起こっているのである。

3.本当の根源的課題
歴史的流れと現状として、民主化への流れが進んでいる。その事は我々に何を示しているのだろうか?
我が国では、野田首相が衆議院解散の時期を明言した。そして、既成政党に対するレッドカードとして、石原都知事と橋本市長、そして、みんなの党による第三極が旗揚げしようとしている。
第三極が目指すものは、中央集権構造の改革(行政改革)が第一の旗印となっていて、国民の不満に対するテーマを反映している。そして、その流れは、世界情勢的に連動しているのである。アメリカと同じテーマで一部の人の社会的牛耳り(勝ち組社会)に対抗するということなのだ。
その示すところは、世界でも圧倒的な密度で分布する人類を、何が、どのようにコントロールするかという課題なのである。この課題によって、歴史的に多くの戦争が勃発した。本当は、今、突如出現した課題ではなく、遠い古代からの課題なのだ。そして、その課題に向き合ってきた結果、現在、民主主義という方向に流れてきたのである。

結局、市民にとって好ましい体制とは?秩序とは?というテーマが横たわっている。その選択肢は、集中した権力による統制でしか人類はまとまれないのか?それとも、分散した個々の判断を重視する成熟した民主主義国家(国民一人一人の自覚のある体制)の姿を作る事ができるのか?という問いに置き換わる。先進国の成熟は、その選択を避けられないものにしているのであり、実行と義務を背負って選択する時期にきている。
マルクスのいう共産主義体制は、結局、人類にはなじまなかった。市民社会を共産主義として具体化したかったのだろうが、中央集権体制に落ちいった。
そして、強いアメリカも一部の有力者によってリードしてきたが、その体制にも息切れが見えている。
我が国では、官僚機構によって安定的に世界情勢を渡り歩いて来たが、その構造にもほころびが見えてきた。
それは、国民一人一人の幸福を願望する民主主義を実現することが可能なのだろうか?という問いなのだ。そして、今わかる事は、政治だけの問題でなく、それを選ぶ、又は作るのは、我々一人一人の市民の資質によって定まっていき、そうでなければ、一人一人の幸福を達成できるはずがないといことなのだ。そして、その大きな取り組みを、ユーロは先行して行っているように思え、私は期待したい。

人類をコントロールするものを、責任を持って選ばなければならない。そして、未来の人に、現代人の多数決として、諦めを選ぶのか?希望を選ぶか?が本当のテーマなのだ。
その選択肢は、厳しい意味で、それぞれの人々に平等に持たされているのである。

sorry 2012.11.15

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