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答えを知らないんだろう。だけど、分かっても越えられない。それが君たちの姿だよ。私は分かっている。

誰かがいやらしいことを人に向ける。それは、憎しみや怒りから来る。そして、それは弱虫の姿。
私の目の前の人がそんな姿を見せる。憤慨し悩んでしまう。だけど、その目の前の人は普通の人なんだ。大概の世間とはそんなもんだ。
怒りでなく虚しくなる。虚しくおさめる事でさえ憎しみのあらわれだと言うのかな。
それを優しさや情熱で覆せと人々は私に言うのだろうか?

私が憎しみをわかるのはナゼか?
その様な復讐心が私にも起こるから。
ただ、それを承認せず心から消すにように努め、復讐や陰謀を行動に移さず、その心理に支配されないように注意している。

だって、復讐や怒りに身を投じるのは、気持ちのいいことではないから。悪魔の底なし沼に溺れてしまうわけにはいかないから。

だから、さっさと忘れて憎しみに支配されないように、今が自由でいられるように、努めている。

本当は、私は分かり過ぎている。
だけど、それを覆す場所が見当たらない。
どうしたらいつも静かでいられるかが分からない。
模索ばかりしている。

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