【文化6】本「宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった」





コンビニでこの本を発見。読むべきだと"ピピッ"ときたので購入して読んでみました。

以前「時間は観念の産物」
とこのブログで私の考えを掲載しましたが、それが物理学とかけ離れたものであることをこの本を読んでよく分かりました。

この本は、物理学の「宇宙論」について「宇宙の果て」「ビッグバーンの前の宇宙」「宇宙の膨張」などエッセンスを分かりやすく解説した本です。素人の私でも分かったような気にさせてくれましたので、興味がある方は一読をおすすめします。

その中で、時間はなぜ存在するのかについて次のように解釈しました。

「空間があるから時間はある」

ビッグバーン以前の宇宙は超小さなエネルギーの揺らぎの中にあったとのことで、そこには空間なんて無いような超超小さな世界で、その揺らぎが何かのきっかけで膨らんで現在のような宇宙を造っているというものです。

先の文言を言いかえれば

「空間が無ければ時間が無い」(距離が無ければ時間が無い)

です。なんか変に思うかも知れませんが、xyz軸の3次元に時間が加わって4次元。
3次元の空間を物が移動する場合には時速などで計算します。ですから、物の移動は時間で計ります。物が移動しないような極小小小のところには距離も無いのですから時間も無いのです。それは空間というより点の存在なのです。正しいかどうか分かりませんがその様に理解しました。

でここからです。前に言っていた「時間は観念の産物」この点は実は間違っていないと主張します。簡単に言うと以前のブログでの主張は「時間とは認識」に過ぎないということです。記憶力があるから時間があると、物理と別の認識という方向で語ったのです。大きく言えば物理自体も認識の一部なのです。確かにそれが正しいかどうか、この本にも紹介されているように観測や実験によって証明されて積み上げられますが、その事自体も含むのです。ですから、時間とは記憶という能力を人が持つために生まれたと語りました。そして、認識という私自信の意識は点として私の中にあります。その私は目に映った外界を認識しているに過ぎません。私の中の認識という点は距離を持ちませんので本当に時間が存在するなんて認識が積み上げたものだと言う事です。哲学的に認識とは何かということかもしれませんが。

さてさて、それならば疑問が湧いてきます。なんで人は考えることが出来るのか?認識という考える能力が備わっているのか?「バカそんなのそうだからだ」と言われそうですが、
 
 宇宙が生まれて⇒地球ができて⇒生物が生まれて⇒考える意識体である人が生まれて
 ⇒科学が生まれて⇒地球から外に出る事が推進されている。

なんで、地球人は宇宙に出ようとするのでしょうか?もしかしたら本能ではないのでしょうか?

この一連の活動の流れは、本来、宇宙(それよりも大きな存在みたいなもの)の大きな流れの中の必然の出来事のような気がするのです。存在というものの流れの中の活動の一部で、現時点において人間はその存在の役割を果たそうとしているような大きな流れを感じます。

いかがですか面白くないですか?

しかし、今回は大分大きな妄想を書いてしまった。。。

出版社: PHP研究所 (2001/11)
ISBN-10: 4569576486
ISBN-13: 978-4569576480
発売日: 2001/11

2009.11.20 sorry