【世相1】歌と邦楽ポップ



単純な私はこの歳まで、俳句というものを理解できませんでした。
最近、息子が俳句を自宅に持ち帰りましたので眺めておりましたら、佳句というものはすばらしいと感動(共感)を覚えました。
何がすばらしいかと言えば、短い言葉に共感できる自分に感動したのです。
たった、5・7・5の単純に見える言葉に情景の広がりと人生に沿った感慨みたいなものがありありと実感できたためです。
若いころ、俳句を読んでも「当たり前のこと」をでなんで感動するのか分かりませんでした。
論理で真理を追究することがカッコイイと思ってた自分にとって理解不能だったのかもしれません。
俳句には、邪念はありません。純粋に共感を表現しているのです。その共感も長い文章ではなく、断片的な単語によって連想する情景を共感させるのです。この広がりの情景に感動を覚えます。

最近の若い人の音楽にも同じようなものを感じます。フォーク、ロック世代の私は、パンクロックなどが発生した時期にわけ分からず外国製のロックを受け入れて希望を膨らませていました。
その後、20数年邦楽の歴史を眺めていますが、今、若者が受け入れている(売れている)音楽は俳句に似た要素を感じます。反骨や体制にたいする若者の音楽という我々の時代と異なり(フォークと呼ばれる世界には俳句的な世界は多々ありました)、パーソナルに共感できる歌、人間のちょっとした愛について語り、それを共有するというようなものが受け入れられているように感じます。

利益や成功という思いが、我々世代より大きくなく、純粋に心で共感するものを好む世代と見えます。それは、若者世代にその親が愛情を無限というくらい具体的に表現して注ぎ愛した結果、もてあましてどうしたらいいか分からないくらい自由でひ弱な自己の殻を破れない今の孤独な若者たちが、個人個人を超えて共有できるものと感じます。
我々みたいに具体的成功みたいな現実ではく、心や感性を大事にしている世代と映ります。

2006.12.10 sorry