【科学1】空間それは認識
私の空想の世界へようこそ
宇宙は無限!信じますか?
私は宇宙ではなく、存在としての空間(宇宙の外を含むという意味)でそれは無限と感じるのです。
空間があるとは、置き換えればそこまで認識したという意味でその外は分からないから無が広がっているように思いますが、仮に現在分かっている最大の外側は無とすれば、人は無の空間と認識し、それは無という空間があるということになりませんか?屁理屈に聞こえるでしょうが。空間をさえないのが無のはずです。
大体、無って実は観念であり無なんてないのですよ。
無というのは、人間の認識が止まるということではないでしょうか?
ですから、空間としての無なんて誰も見たこともないのです。ですから、無なんて実はないのですよ。多分、自分がなくなるイメージから来ているのでしょう。
次に宇宙の外側を考えましたので、今度は小さい方、ミクロの方を考えてみましょう。
人間の研究が発達し、無限に小さいものを観察できたとすると小さい方も無限なのです(無限に小さい)。物質として素粒子いが最小と認識されているとしたとき、それよりも小さい方へは観測不能なのは科学の限界であって、実はいくらでも小さいはありうるわけなのです。粒子として最小というだけでその粒子よりも小さいことがありえないなんんてナンセンスの気がします。ですから、小さい方もそこまで認識したということにしか過ぎません。ここまでくると、小さいの定義から見直す必要があるように感じます。
このように考えると大きな方、小さい方どちらも無限なのです。
で、疑問が起こりませんか?無限に小さいとしたら、私と空間の境界目は成り立たないのではないのか?と、ズーット粒子と粒子の境界の向こうに行けないということになります。そういうことから、小さい方は無限のはずがないとおっしゃりたいのではないでしょうか?そうではないのです。「小さい方へ行けば行くほど境界が見えなくなる。」の解は、我々は実はつながっているのです。すべての中の一つの要素で、小さい粒子の中が示すように本当は境界がないのです。イメージとしては、なにかの(電子みたいなもの)塊がその部分で濃厚になっていて膨らんでいる。それが物質なのではないでしょうか?もっと空想的に述べれば、個として存在するのは、意識(心)だけなのかもしれません。すべての物質は、すべてに含まれるということではないでしょうか?
大体自分と定義したのも、自分の定義を自然の一部と見なさなかったのも、心ですから。
PS.自分の言葉の語源知ってますか?自然から自身を分けるから来ています。なんか示唆的ではありませんか?
2008.9.20 sorry (2012.2.3 改訂)