【世相11】現代の混沌に対する感想
時代の流れ
いろいろと世界が揺れ動いている。
金融の不安定、気候変動、そして、人々のデモ。
国内においても、様々な力関係によって、選択する事にマイナスのバイアスがかかっている。
私は、来年50才になる。この国が右肩上がりで発展していく様も経験したし、崩れていく様も見てきた。
私の子供時代と言えば、食卓がどんどん贅沢になり、難しいと言われた事が大した苦労もなく未来的になっていって、私の父親時代の苦労から見れば、夢のような若き時代っだった。
24種類の1人称
先日、NHKの白熱教室を見ていて、日本人の学者の方が外国人と日本人の違いについて、言語の相違の中から解き明かしていた。
日本人の気質は、周りとの関係性を重要視し、外国人の傾向としては、まず自分という事だった。
日本人の1人称の種類は24種類あるけれど、外国においては概ね1つしかないと文化的に証明されていた。
日本人は、私・僕・俺とか複数あるけれど、英語はⅠだけだし、中国も同じで1つしかないとの事だった。
私は、その事は重要な事だと思う。
全体的な立場の中で、自分自身の「私」の表現を変更し、状況を把握し礼節を示す事は強く役割を自覚しているからだと思う。
我が国の人々は、そのように役割を重んじるのであり、他国の傾向としては役割より自分の方を強く優先させるのである。
未来への役割
今、危機的な世界情勢を見たとき、この国の優位性は、全体的な幸福を考える気質を多いに持っている事ではないだろうか?
その事はガラパゴスと言われるくらい、世界的文化と異なるのだ。
人口が多い世界の中で日本人としての民族文化は我々に染みついていて、世界の人々の共存という方向性に欠かせない存在と私は思っているのです。
日本人は、本当に仏教的に自分の中に全体とのかかわりの答えを見つけようとする文化が根付いて、仏教の発祥の地のような仏教文化国より、国民全体の中で多いに育まれていているように感じています。
そして、それが未来にとって正しき道へ導けと、その役割を我々国民が感じる以上に現代が要請しているように感じているのです。
2011.11.23 sorry