【世相10】正は存在そのもの、しかし、単純ではない
正があるので、存在がある。
正を何かしら人が求める心には、存在への肯定がある。
存在を否定すると言う事は、自分を否定し、隣人を否定する事になる。
ある程度、幸福な現代において、今の正義を否定する事は、全体への否定に近かった。
正しい(善)だけでは、我々は生きていけないのではないか?
また、自分を滅ぼそうとする力に抵抗を試みる事も、確かに正への行動という部分がある。
ただ、正しい事を述べるのは簡単だ(本当は大変なのだけれど)、
切実な正しさで無い机上の正しさは、本当の正しさにほど遠い。
何も不自由でないのに、正義を振りかざすのは、エゴだと思う。
そんな、現実的目線で私は3.11まで生きてきた。
しかし、誰が悪いという事ではないけれど、のど元に突き付けられた自然からのプレッシャーに、自分、いや自分たちで答えを出すときが来た。
そんな混沌が、今を覆っている。
それは、貴方自身が、最大の知性とリアリティーによって答えを出さなければならない。
若い人には、荷が重すぎると感じている。。。
しかし、大人のあなたは、答えを出すべきと思う。それは、ただ正しいだけでは答えは出ないだろう。
だが、答えを求めてほしい、その答えによってあざけ笑われても。弱虫と言われても。
それが、現実の中の正しさとしか言いようがない。
2011.7.11 sorry