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誰もが希望という言葉を叫ばなかった時代が続いた。
人々は空腹も感じず、努力というものをカッコ悪いとさげすんでいた。

誰かの涙をバカにし、誰かが不自由なのはバカだからだと思っていた。

その次の時代には、幸福が当たり前にころがっている事を持て余し、快楽や無責任の中で自由を感じた。
そして、むなしい自分の空っぽな心を、何処にも向けられない事を自覚するばかりだった。

次に空っぽになってしまった人々は、誰かのせいにした。
誰かが悪いのだ、自分の空っぽを人を悪者にして埋めるしかなかった。

空っぽの自分に、何もない自分に希望を見つけられるはずもない。
それは、本当の正義を忘れた天罰だった。

それぞれの人は、それぞれの人生を持っているのは当然だ。
しかし、本当に幸福を感じたいならば、多くの隣人の幸福を願い、その中に自分がいることではないのか。
それが共有できる目的のはずだ。

そして、そのことに近づこうとすることが、希望と呼ぶはずなのだ。

2011.9.23 sorry