【幸福論13】ラックボックスと僕の啓蒙主義



人は何を信じて生きているのだろうか? それは、アイデンティティー(生きてきた帰属性)に由来する。
何が正しくて何が正しくないかの基準も生きてきた社会の中で確認してきたはずだ。
そのような中で自分が気付かないうちに確立されている。

アバェロンの野生児の話をご存知だろうか? 1800年のある日発見(保護)された幼くして人間社会から離れた少年(参考文献)。
アバェロンの野生児は保護されてから、あらゆる手段で人間としての教育をしても、もう人間には戻らず言葉も覚えず人間の姿をした獣人のままだった。アバェロンの野生児は、自然の社会の中でたぶん人間を受け入れないように生きてきたのだろう。だから、自分とは別の生き物であると思っている人間の教育も受け入れなかったと思われる。もしかしたら、犬のように人間を受け入れることのできる動物と共に生きていれば教育可能だったのかもしれない。
この事は、人がブラックボックスの人体を持って生まれ、その中に何を入れるかによって性格や人格が出来て人間になることを示していると思う。

人は生まれてきた時の社会やそのアイデンティティーによって教育され体験して自分をつくっていくし、知らないうちに体にしみこんでいる。だから、当然だが教育する育ての親に大きな影響を受ける。いいかげんな両親であれば悲しいけれどもそれに影響をうけてしまう。しかし、アバェロンの野生児とは異なり、どこかの誰かに分別の分かる種を植えられていれば、そのブラックボックスの中に分別のあるものを入れられるし、正しい何かを自分で取り入れる事も自由になる。




正義や理性や善をここで大げさに述べているのも、そのような基点(種)にならないかという期待からで、私自身、いつも正しいわけでもないし、今も過ちを直したくなることは多々あるけれど、バカみたいに正しそうな事を述べるのは、自分を正しき方向に向けていく思いだけは間違っていないと確信しているからで、自分自身、実行にとぼしくても啓蒙的なんだぁと思っているのです。

参考文献



題名:分裂する現実―ヴァーチャル時代の思想 (NHKブックス)
著者:赤間 啓之
出版社: 日本放送出版協会 (1997/10)


2010.09.20 sorry