【幸福論12】恐怖?どうせ生きることからは逃げられない?



「本当の恐怖は最後にやって来る。
その恐怖を忘れることなく、自分らしい人生を生きるにはどうしたらいいのか」

1. 恐怖の概要


恐怖は気持ちの好い感情ではないのであまり訪れてほしくないものだ。
人間は未来を考える知能を持っているので、今、恐怖がなくても未来に訪れるものを考えることができる。
少々の恐怖は、大脳によってその心を抑えることができるが、無限大にいくらでも未来の恐怖を想定することは可能なので、そのことを突き詰めて考えた場合、完全に恐怖から開放されることはできないのではないのだろうか?
だから、生きていくには恐怖から離れた場所に自分を置くような傾向を人は持つ。快楽に走ったり、脅迫観念の中でスピードを上げたりして、恐怖を直視しなくてもいいように。
しかし、未来の恐怖を自覚しないことに私は片手落ちの人生を送るような感覚を持つ。それは、未来の恐怖に近づいている自分の今を大切に生きるには、そのことを忘れず、時たま思い出して生きた方が真剣に生きることになるのではないかと思うからである。

2.恐怖の効用


恐怖は気持ちが悪いというようなマイナス面ばかりではない。プラス面もある。
子供は成長する過程において恐怖と出会うことで多くを学ぶ。自分を大切にすることや、未来の生活に対する不安などを感じたら、勉強したり、生きるための仕事を模索したりするように。
次にそのような恐怖のプラス面を思いつくまま羅列する。

・恐怖は知らなかった学びを生む
・自分を守り、計画的に生きようとする原動力となる
・無謀を行わない社会性を身につけさせる
・他者の恐怖を共有することにより人の痛みの分かる者にしてくれる
・恐怖に負けないように自分を強くするキッカケとなる
・破壊や暴力に空しさを見る目を養う
・恐怖に挑む勇気ある者に本当の勇気を感じ,共感し、勇気と尊敬を学ぶ
・恐怖を忘れないことによって、さらに大人になることの促しを得る
・全てに対して愛を持つことができるようになる
・更に追求して行けば善さえ手に入れる事ができる

恐怖は人生最大級の毒でもあるが、この様に薬と思えば、「良薬口に苦し」という面も大きい。


3. 恐怖と共に


恐怖から開放される事はできない。それは本能だからだ。恐怖があったからこそ人類は生き延び繁栄する知恵を手に入れた。
もしかしたら、知能と恐怖は密接な相互関係を持ち、人の知能を発展させてきたのかもしれない。
長年、私は恐怖からの解放を目指していた。しかし、それは無理だと悟った。恐怖はいつも私と共にあるのだ。
だが、先に羅列したように大切な薬として機能している事を発見した。だから、私は自分の傍らにあってもよいことにした。実際、本当の恐怖はまれにしか訪れない。だから、毎日の生活で、忘れはしないし逃げることはできないけれど、あまり気にしないで生きている。本当に訪れるそのときまで本当の恐怖は訪れないのだから、そのままにして受け入れて生きることにした。恐怖を考えてつぶれそうなくらい支配されることもたまにあるが。

2010.09.15 sorry