【哲学2】バーチャルとはなんぞや?
バーチャルとは、辞書で引きますと「事実上の, 実質上の」という意味が本来ですが、日本人の使い方としては「仮想」「実体でない」のようなニュアンスで使われています。この使われ方は、コンピュータの世界でこのような言葉使いをするのでそちら側が当たり前となっているようです。
ここで、タイトルの「バーチャルとは?」のバーチャルの意味として、一応「仮想」とか「虚像」という意味にとってください。要するに、「実体でない」という意味です。
バーチャルは最近悪者あつかいされているように思います。雲みたいなバーチャルが世の中をおかしくしているという論調をよく耳にします。「犯罪が多いのは、ゲームのようなバーチャルな世界のせいだ」とか「実体のないバーチャル経済が。。。」みたいな感じです。
ならば、リアルとは何かを考えなければなりません。「現実」「実在」とは現代において何かということです。
現代においてのリアルはバーチャルなものばかりではないでしょうか?お金、メディア、芸術など、観念の産物ではないでしょうか?
いくら、世界各国の映像をメディア(TV等)で見せられても、それはその場で見ていないのでリアルとはいえません。お金も、社会の共通の約束によって作られていますので、物の価値を絶対的なものさしで測るものではなく相場で決まります(それを実体というのかもしれませんが)。
実体の認識とは、自分を中心として半径10mくらいまでの把握としますか?それさえも否定的な言い方はされています。
実体は人によって認識されますので、その認識は人によってまちまちです。それを、種類や分類によって大雑把に言葉に集約し共通認識できるようにしたということです。ですから、実体のとらえかたを絶対的に表現するなんてできないのです。
結局、人が共通に把握するためには、共通の言葉(名詞)におきかえて把握します。これは、実はバーチャルでそれぞれの主観によって仮想的に認識するということで、実態として把握できない形而上の正体なのではないでしょうか?
そういうことから、人間社会そのものが共通の認識をもつためには、バーチャル(形而上の認識)で構成するしかないのです。結果として、事実とは皆が共通認識していると思っている(思い込んでいる)ことで成り立っていて、元の語源の「事実上の」に戻ります。仮想を共有することが実は事実(形而)だったのです。仮想とは思い込みで、それを共有することといえます。大体、共有されないものを仮想と呼べるでしょうか?(どう表現するのでし、認識させるのでしょうか)?
ここで疑問が出ます。事実と仮想の意味合いの違いを言葉で使い分けるとは何か?ということです。通常バーチャルとは事実に対して、物理的存在のないニュアンスだと思います。ゲームのバーチャルは相手に殴られても痛みがないとうこと、バーチャル経済は正しいかわかりませんが生産という行為がないようなもの的意味のような気がします。また、皆の認識と大きくことなる見方も仮想(空論)というのかもしれません。
バーチャルの使い方は、そのときの風潮でいいと思いますが、結局言いたいのは共通に認識している善や悪というものは、バーチャル的で曖昧な雰囲気で決まってしまう要素が大きいということです。でそのことを、絶対に正しいと思い込んでしまわずよく観察して考える目を持ちたいものです。
個人的には、時間自体も仮想の産物と思うのですが。。。
「で、それが?」って言われたら、「はい、それだけです。」と返事するしかない。。。目にも見えないことへの証明の虚しさをはらむのであった。。。
2007.01.24 sorry (2012.01.27 改訂)