【世相5】人間らしく自由でいたかった。純粋な男「尾崎豊」
今は2月下旬。3月になれば卒業シーズン。そのキーワードで尾崎をあらためて聞いた。
その楽曲は「卒業」。
卒業を聞くと、大人には耳障りな「支配からの卒業」というキーワードがある。
普通に聞くと、既成の社会に対する反発と簡単に理解しそうだ。自分も長い間そうこの曲を理解していた。しかし、尾崎豊の純粋さはそんな半端なものでは無いと今感じる。
「支配からの卒業」とは、社会でなく自分自身が自由になれないつまらない人間と言うことなのだ。かなり哲学的発想だ。そう、彼は自由にできないのは自分自身の中の束縛と気づいていたのだ(表層的でななく、そのもがきの中かから生まれた歌詞なのだ)。
「あと何度 自分自身何度卒業すれば 本当の自分に たどり着けるだろう」という歌詞も自分自身の無力さに問かけている。
本当に純真にごまかしをしなかった尾崎。その、ストイックな精神と悩み続けた生涯は青春の代弁者だったと思う。青い春を真剣に生きた男だった。
残念なのは、自分が生きるくらいのごまかしを許してほしかった。そうしたら俺と旨いおやじ同士(彼が生きていればおやじ)の酒が飲めたかもしれない。落ちぶれて行く自分を許すことも、今の私は自由を追及した事の結果と思うのだが。。。
2009.02.22 sorry (2012.2.9 改訂)